top of page
S T O R Y


新しい息吹
祖父(初代)は10年かけて弊社ハリケーンランプの基となる形を作り上げました。 そして父(3代目)はさらにそのランプを磨き育て、広く海外にまで販路を広げました。 父は私に「うちのハリケーンランプは決して変えてはいけない。完璧だから。』と言っていました。そして一度途絶えたハリケーンランプ造り… 娘(5代目)は10年余りかけ材料をカットする所からハリケーンランプを形にするまで一人で作り上げる様になりました。祖父から続く100年のランプ造りです。 その形は語り継がれた言葉通り昔から変わらず「揺るぎなく美しい炎を灯し続ける。』 彼女はこの変わらぬ姿のハリケーンランプを単に再生するだけではなく、その姿に様々な着色を施すことで新しい息吹を吹き込み、存在そのものが美しいハリケーンランプに作り上げます。 <DAWN> − それは遥か彼方の地平線から太陽がその美しい姿を表す一瞬を表現します。 <NATURE> − それは木々の生い茂る美しい森林を表現します。 そして2025年限定色の<Belt of Venus> − それは日の出前や日没直後、太陽と反対側の空に現れ
4代目 別所二三子
1 日前


父にもらったランプの思い出
小学生の頃、父(三代目)に提げ手の付いた小ぶりのランプを何個かもらいました。 ガラスの部分はカボチャやサンタクロースの形をしていました。 当時は盛んに海外へハリケーンランプを輸出していた頃で、父は時々商社の担当者から「お嬢さんに』と言って海外からのサンプル品をもらって来てくれました。 このランプ達がとっても気に入って祖母の部屋で前に並べてランプ屋さんごっこの一人遊びをしたのを懐かしく思い出します。 『かわいいランプどうですか』とか言いながら。 先日ふとあのランプどんなんやったろうって思い出し、娘に頼んで検索してもらったら見つかりました。 …でも私の記憶に浮かぶランプでなくて今見るとちょっと不気味。 私の記憶の中ではもっとふっくらして可愛かったのに…。 (本物にご興味あれば4代目が書いた下記イラストで画像検索してみてください。)
4代目 別所二三子
10月27日


100年の物語とこれから
「暗闇に炎があると人は自然に炎の周りに集い合い恋人たちは炎の揺らめきが映った瞳に恋をする家族は時々電気を消してらんぷの炎を見つめながら語り合えば良いきっと素敵な家族になれる」 三代目である祖父・別所 昭の言葉です。 ランプ作りの始まりは大正13年でした。 初代・留吉は”世界で一番優れたハリケーンランプ”を作ることを目標とし、 約10年に渡る研究の末、当社のシンボルであるハリケーンランプを完成させました。 昭和初期にはハリケーンランプに限らず、洋燈などのランプ作りを行う会社が存在し、 大阪にも数社、洋燈のバーナーを製造している会社がありました。 しかし時代は流れ、バーナー製造会社は次々と廃業。 その時その中の一社であるバーナーの製造を行なっていた他社の社長が、 当社を訪れこう言ったといいます。 「ランプの炎を、どうか絶やさないで欲しい」 そしてバーナーの金型を全て当社に託していきました。 この時から当社は様々なランプの製造を開始、 その金型たちは当社で改良を加えながら現在も活躍しています。 そんな活躍し続けてくれている機械や金型たちから作業中、声が
5代目 別所由加
10月26日
bottom of page


